Lounge ”四季”を散歩して・・・                気になること(モノ)を綴るblog

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「四季」春
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「四季」夏
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「四季」秋
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「四季」冬
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「四大元素」水
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法律家
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司書
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ソムリエ/ウェイター
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「トリックアート」上下絵
さかさまにすると、まったく異なるイメージが!
 肉
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 コック
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 野菜
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 庭師
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by fujiyanh | 2017-05-27 22:00 | ☆その他

『GREENROOM FESTIVAL '17』

フリーエリアb0083855_22472485.jpgb0083855_22472815.jpgb0083855_22473295.jpgb0083855_22473653.jpgb0083855_22474075.jpgb0083855_22474349.jpgb0083855_22474990.jpgb0083855_22475254.jpgb0083855_22475717.jpgb0083855_22480175.jpgb0083855_22480660.jpgb0083855_22481000.jpgb0083855_22481836.jpgb0083855_22482375.jpgb0083855_22483559.jpg
レジェンドスケーター ”Eric Dressen”とパシャリ


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by fujiyanh | 2017-05-21 23:32 | アウトドア
パタゴニアのショップに行ったら、なぜかサーモンの燻製が売っていた。
正直、登山愛好家やキャンパーのための高級トレイルフードにしか見えない。
と驚いていたら、スタッフが寄ってきて理由を教えてくれた。

創業者のイヴォン・シュイナード氏が、ブランドの拡張よりも
次のステージは「食」で、革命を起こそうとしているらしい。
と言っても、現在の「食」の世界を否定するものではなく、
食料の生産過程での環境負荷をできる限り減らし、
持続可能な産業として見直すべき時に来ているのではないか、というパタゴニアらしい入り口だった。

そんな入り口のところを説明した短編映画↓
環境再生型農業、放牧による牧草の再生、多様な作物の開発、環境修復型漁法の
4つの分野の開拓者のストーリー、持続可能な農業・漁業について考えていく内容です。

適正なサイズだけを狙う昔ながらのサーモン漁で獲った切り身の燻製。
土壌の負荷の軽減と大気中の炭素を取り込む多年生の麦(ケルンザ)を使ったオーガニックビール。
植物性だけでできた栄養たっぷりのスープの素などが発売されている。
他にも牧草を根こそぎ食い荒らしてしまう牛の放牧ではなく、
平原を守る役割を担うバッファローを使ったジャーキーがアメリカでは発売されているそうです。
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ツァンパスープ
小麦の粉末がスープに溶けているので、見た目より満腹になるようです。
その後の腹持ちも非常によく、スープ食べただけとは思えないそうです。

野生のサケの種を守ること、つまり川を上るサケの数を数え、
捕獲しても悪影響を与えない数を割りだすという調達方法や、
野生の穀物のケルンザは、根は長く密集しているため、土壌を固定し、
栄養素と炭素を送り込むには理想的。しかも多年生で、再生可能な農業に適している。
だが、一年草の小麦と張り合う存在になるまでには、まだ道のりは長い。
農家にこの作物を栽培してもらうために長年にわたって資金を提供してきたという。
どの製品に関しても、正しい判断をするための十分な情報が整っている。
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http://www.patagonia.jp/provisions-jp.pdf

パタゴニアの挑戦で、
お金に余裕がある人々のために健康な食品を作っているだけなのでは?とか
世界を養うという理想を抱いているだけなのでは?とか
グリーンウォッシング(環境への配慮を装うごまかし)をしているだけなのでは?とか
という議論は今後どうでもよくなるだろう。

何れにしろ目的は、
かつて存在したインフラの復活を手伝ったりと、グローバルに警鐘を鳴らす革命でもあり、
不必要な悪影響を最小限に抑えることがミッションだと。
食品の選び方を見つめ直すきっかけにもなりそうだ。
地域経済を刺激し、消費者の意識を変えることで、
食環境が変わっていくという長い目で未来を見ていることだと思う。




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by fujiyanh | 2017-05-18 20:29 | 時事メモ

ゲンロン0

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まじめな公⇔ふまじめな私
政治⇔文学
社会⇔実存
人間(誇り高き精神)⇔動物(欲求を満たすだけ)
全体主義⇔個人主義
ナショナリズム⇔グローバリズム
リベラリズム⇔リバタリアニズム
国民国家⇔帝国
……etc
人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体にのみ属する「村人(当事者)」でもなく、どの共同体にも属さない「旅人(部外者)」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつも、ときおり別の共同体も訪れる「観光客」的な在り方が大切だという主張です。

どんなに悲惨で残酷で悲劇的な場所であっても、この世界中をあたかも観光地のようにして楽しめて、観光先の偶然の出会いやノイズへと書き換えていく生き方が大切だと。

観光客は住民に責任を負わない。同じように二次創作者も原作に責任を負わない。
観光客は、観光地に来て、住民の現実や生活の苦労などまったく関係なく、自分の好きなところだけ消費して帰っていく。
二次創作者もまた、原作者の意図や苦労などまったく関係なく、自分の好きなところだけを消費して去っていく。
両者に共通するのは無責任さである。この無責任であるからこそ、新しいタイプの自由や倫理の可能性が開かれるのかも。
当事者が重要なことは否定しません。それは原作が重要なことと同じ。
現実には過去は存在しないから、論争も終わることがない。あらゆる過去についての物証は、二次的な手がかりでしかないので過去についてはそういう意味で決定的に当事者ではない。
だからフェイクニュースも陰謀論も消えない。厳密には「当事者だった観光客」がいるだけなのです。
なにかの当事者であることをつねに偶然だと思えということだと。

観光客は大衆である。労働者であり消費者である。観光客は私的な存在であり、公共的な役割を担わない。
観光客は匿名であり、訪問先の住民と議論しない。訪問先の歴史にも関わらない。政治にも関わらない。
観光客はただお金を使う。そして国境を無視して惑星上を飛びまわる。友もつくらなければ敵もつくらない。ほぼすべての性格が集っている。
観光客はまさに、二〇世紀の人文思想全体の敵なのだ。だからそれについて考え抜けば、必然的に、二〇世紀の思想の限界は乗り越えられる。

二一世紀の世界は、人間が人間として生きるナショナリズムの層と、人間が動物としてしか生きることのできないグローバリズムの層、そのふたつの層がたがいに独立したまま重なりあった世界だと考えることができる。
市民が市民社会にとどまったまま、個人が個人の欲望に忠実なまま、そのままで公共と普遍につながるもうひとつの回路はないか、その可能性を探る企てである。

内容なき連帯は、一時の盛り上がりを見せても、継続的に政治を変えてゆくはたらきを持たないことはアラブの春の後の歴史を見ても明らかである。

観光客の視点こそが、当事者たちの不毛な闘いをあるていど抑止するのかも。

たまたま目のまえに苦しんでいる人間がいる。ぼくたちはどうしようもなくそのひとに声をかける。同情する。それこそが連帯の基礎であり、「われわれ」の基礎であるのだと。


東 浩紀氏の著書
弱いつながり



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by fujiyanh | 2017-05-01 23:23 | 時事メモ